私の小さなお店 ➀
私は、この9月まで、小さなイタリア料理店を、およそ約14年経営していた。
経営的には、とても大変で、世に言うように、毎日、自転車でも、小舟でも、必死で漕がなきゃ、店の家賃、が払えない、状態の店であった。
14年もよく、頑張ったと思う。
リーマンショック辺りから、海外の、贔屓にしてくれていたお客さんも、自分の生まれた国に帰ってしまい。日本のお客さんも、毎週が、三週間に一度、一か月に、一度、とだんだんと、右肩下がりになった。
一番大変な時期に、一緒に働いてくれた、遠い南の島からやって来た、テンポのゆったりとした、男の子は、私のメンタルとこの店を、ゆっくりとしたペースで、支えてくれた。
同じ一日、忙しくても、暇でも、朝から、店を閉めるまで、楽しい一日を送った。
初めから、もちろん、そうではなかった。大阪生まれの私には、テンポの遅い南の島から来た男の子には、苛立った!私は、すぐに、口に出すタイプで、ゆっくりとした、ペースを速くと何度も、急かせた。
急かして、失敗し、私も、気まずくて、開店の時間は店に嫌な空気が漂うようになり、
常連さんからは、ケンカしたん?って言われるほど、空気が悪かった。
叱られて、彼も、お客さんの前に出るのは、辛いけど、お客さんには、関係ないから、普通にする、一番良いのは、ケンカしないように、仕事を開店にこぎつける事につきる。と、お互いに、前に向かいながら、毎日の営業を頑張った。
以前の、私なら、当たり前に(はい!速く仕事します!)って返事が返ってきて、何事もなく、毎日仕事に、来てくれる、と思っていたのだが、雇われている人との、目標が違えば、何かしら、理由をつけて、辞めてゆくんだと、この、南の島から来た男の子と仕事をして、勉強になった。
私もRomaで、3年働いた。仕事を探すのは大変だった。アルバイト情報誌なんかないし、体当たりだった。やっと仕事にありつけたのに、オーナーから理不尽な事を、言われたりして、頭にきてしまった時に、一緒に働いていたCameriere(給仕)のBarbaraが耳元で(私の仕事尊敬していますか?って聞きなさい。)と教えてくれた。
尊敬・・・・日本人の私には、使わない、いや、思いもかけない言葉で、オーナーに言ったことなんか、一度もない。
辞めるつもりで、電話で、言ってみた。(Mi rispetti?anche il mio lavoro?)
勿論、尊敬している!戻ってきてほしいと言われた。
言いたいことは、イタリアでも、日本でも、人間、一人ひとりを何処かを、尊敬できるか(探せるか)尊敬に値する人間だと評価(認めてほしい)しなければならない。ということ。なのだなぁ。と思う。